■インタビュー がん発見から復帰トレーニングまで

278 名前:トーチュウ インタビュー・1[sage] 投稿日:2007/07/16(月) 00:44:04
――がんを告知されたときは
 
「『えっ、オレががん? こんなに元気なのに…』というのが最初。それもがん細胞だけじ
ゃなくて、腫瘍のある右の腎臓をすべて取る、と。オレからプロレスを取ったら、何も残
らないじゃないですか。生きがいじゃないですか。『小橋さん、まず生きることでしょう。
生きることが一番です。復帰ということは頭から消してください』と先生から言われました」
 
――手術を受け入れた時の心境は不安と恐怖、どちらでしょう
 
「普通は『もうおしまいかな…』と思うじゃないですか。『もう死ぬのかなあ…』というの
もあったし、その前に『もうリングに上がれないのかなあ』というのも。手術台に乗せら
れた時は『早く終わってくれないかな、そうすればリングに戻れる』とか」
 
――筋肉を切ると治りが遅くなるので、開腹でなく腹腔鏡による手術だった
 
「朝8時くらいに病室を出て、気がついたら夜の9時ぐらい。手術台に乗せられて麻酔の
時『ハイ、3回吸って』って言われてもまだ意識があるんです。『5回吸って』って言われ
ても、まだあるんです。不思議とよく覚えてるんです。いつ落ちるんだろうって。死ぬの
生きるのというより、とにかく成功して欲しい、と。手術は5時間半かかりました。筋肉
が一般の人の3倍あって時間がかかったそうです」
 
 
280 名前:トーチュウ インタビュー・2[sage] 投稿日:2007/07/16(月) 00:46:44
――麻酔から覚めて腎臓が一つなくなったという現実をどうとらえましたか
 
「現実とか、そんなもんじゃない。傷口が痛くて張り裂けそうだった。右の腎臓を切るた
め、手術中は左半身を下にして寝ていたんですが、全体重が左肩にかかって、しびれ
て動かなくなってしまったんです。うまく説明できないんですが、血中にクレアチンキナ
ーゼという酵素があって、その数値で打撲とか衝撃を受けた時の重傷度を判定する。
普通の人なら30―190ぐらいなんですけど、それが9459まで上がっていたんですね。
すると、体の老廃物がみんな腎臓にきて、ろ過しきれなくなってしまうらしい。そこでク
ラッシュ症候群を起こし、危険な状態(腎不全)になるらしいんですよ」
 
――その痛みはリング上で経験したことのない痛みでしょ
 
「全然違う。下腹部の傷口が引きつって痛くてね。10センチくらいのと5センチくらいの
傷口にチューブが入っていて、ちょっと動くと破れるような、グーッとくる痛みですよ。
いつもけいれん起こしてました。ですから、痛み止めをのむか、打つか。一番効くのは
座薬。自分で入れるわけじゃないから嫌なんですよね。でもやってくださいと言いまし
たよ」
 
 
281 名前:トーチュウ インタビュー・3[sage] 投稿日:2007/07/16(月) 00:49:28
――小橋選手は母子家庭で育ち、お母さん思い。母親の都さん(68)には心配させまいと
苦しんだのでは
 
「がんだって言えば、驚くじゃないですか。どうすれば驚かないように言えるかなって考える
じゃないですか。電話でね。ちょっと話があるからって、心配しなくていいからって…。がん
なんだ、早期発見で手術すれば命は助かるという話をしました。衝撃を与えないように伝え
ましたよ。それから、医者に家族を呼んでくださいと言われて、母と兄に来てもらいました」
――手術後、病院側からの経過報告と食生活の改善などいろいろ指示があったでしょ
 
「2週間後の検査で、やはりがんでしたと言われました。プロレス復帰など二度と言わない
でください、と何度もね。日常の食生活はこれまでのまったく逆。腎臓は油とか脂肪分がい
いらしいんですよ。だから油っぽいものを取るようにいわれてね。タンパク質、プリン体のよ
うなものはダメ。尿酸値が上がるから。もちろん、塩分はだめ、きつ食事制限を受けました」
 
――退院する際、注意をされたことは
 
「日常の生活に戻っていいですよ、ただ練習だけは絶対にやらないでください、と言われま
した。次の検査でもし、体が締まっていたら、また病院に入れますよ、って。水中歩行を始
めたのは8月です」
 
 
282 名前:トーチュウ インタビュー・4[sage] 投稿日:2007/07/16(月) 00:52:14
――筋トレを始めたのは
 
「8月19日でした。有明のノア道場のリングの上に大の字になって寝てみましたよ。何と
も言えなかったですね。筋トレといっても、本当に軽いものです。前に前に行こうとする
小橋がいて、もう一人の小橋はエアポケットにはまったように無気力になって…。
『おまえ、何をやってるんだよ』といったジレンマみたいな、倦怠感のような…」
 
――今のトレーニング内容は
 
「6月から受身の練習を始めました。衝撃のない軽い感じでやってますロープを走ってね、
リングの感覚をつかむ程度。若い選手とか周りのペースを見てしまうと『オレって、こんな
ものか』って落ち込む。だから、周りに気をとらわれないで、自分のペースで一人でやっ
ている。まだまだもどかしいです」
 
――今の段階で復帰する、リングに戻るという気持ちと見通しは
 
「昨年12月に日本武道館で『復帰してみせる』って言ったじゃないですか。その2日後に検
査があって、すごく数値がいいんです。先生には会う度に『リングに戻るなんて考えないで
ください』と言われていたから、その時に『リングに上がるなんて反対ですよね』と言ったら、
『いや、そんなことはないですよ』と言ってくれたんですよ。賛成してくれたんですよ。あれ
で初めて前向きになれました。
 ボクの場合、内視鏡で3本刺してへその下10センチぐらい切ったんですよ。リングに復帰
したいから、目立たないように…って。『あ、腎臓ないんだ』って思われると、やっぱりイメー
ジ悪いじゃないですか。リングに上がる時は相手と五分と五分で上がりたいですからね。
筋肉を切っちゃうとリハビリがやりづらくなるから、筋肉をかき分けて入っていったらしいです」
 
 
283 名前:トーチュウ インタビュー・5[sage] 投稿日:2007/07/16(月) 00:54:43
――明るい見通しが立ったところで、復帰宣言を約束できますか
 
「昨年12月、自分の戻るべき場所はやっぱりここなんだと実感しました。自分の気持ちと
して1年間やってきたことのけじめをつけたい。これからのリハビリの経過、検査の結果
によりますが、年内に1度、いい形でリングに上がりたい。たくさんのファンの方の後押し
があったわけですから。それが、支えてくれたみなさんへの恩返し。みなさんの希望の
星になりたいです」
 
――上半身、裸になってくれませんか
 
「それは勘弁してください。自分が納得できる体になっていませんから。その時は、リン
グの上です」  (聞き手・門馬忠雄)
 
 
【汗っかき変わらず】
○…小橋の汗かきぶりは、プロレス界では有名。全日本時代のハワイ慰安旅行で、当時
新人だった秋山準が小橋と同部屋に。小橋は一晩中クーラーを入れっ放しにしていたが、
文句を言えない秋山は「毛布をかぶっていても、耐えきれなかった。冷凍庫の地獄のよう
だった」と証言している。「腎臓を片方取って、汗っかきは変わった?」と問うと「これだけは
変わらないです」。取材中も室内のエアコンを目いっぱい上げていた。体質が変わらない
のだから、間違いなく"鉄人"復活の予感。
 
 
284 名前:門馬氏のコラム[sage] 投稿日:2007/07/16(月) 00:56:12
馬忠雄「カウント2.9」
 
「体は大丈夫ですか」
昨年12月の日本武道館以来、約7ヶ月ぶりに対面した小橋のあいさつが、これだった。
筆者は以前に脳梗塞を患い、今も右半身に後遺症がある。小橋の言葉はそんな私を
気遣ってのものだが、思わず「人のことより自分の方が大事だろ」と言いたくなった。
 取材時間は60分の約束だったが、いつしか90分を過ぎていた。こちらは恐縮している
のに、小橋の方が、がんを告知されてからの心境や葛藤を語りかけてくるのだ。「この
苦しさを誰かに聞いてもらいたい」。そんな気持ちが言葉を吐き出させたのだろう。
 彼は筆者の息子と同じ年だ。切なかった。マヒの影響が残る右目が潤み、熱いものが
こみ上げてきた。別れ際、頑張っている人に「頑張ってね」とは言えなかった。「体に気
をつけてね」。そう言うと「ハイッ!」と元気な声が返ってきた。小橋はリングで再び戦うた
めに、今は必死で自分と戦っている。(プロレス評論家)